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金閣寺について






1 金閣寺とは?
 金閣寺(鹿苑寺金閣)は、室町時代に足利義満が建造した寺院です。金閣という名前のとおり、表面は金箔でおおわれていて、下地には、漆が塗られています。



2 金閣の歴史
 金閣寺は、室町時代に建造された建物ですが、その金閣は、一度焼失しています。 消失する前の1398年の金閣は1950年に焼失し、1955年に再建されました。今現在ある金閣は、その時の物です。

 もともとは、将軍の邸でしたが、当時の将軍、足利義満の死後は、義満の遺言により、禅寺となりました。

 金閣寺の正式名の鹿苑寺は、足利義満の法号"鹿苑院殿"からつけられた名称です。
 現在、金閣寺と呼ばれるのは、鹿苑寺内にある舎利殿(金閣)が特に有名であるため、そう呼ばれるようになりました。


3 舎利殿について
 金閣寺と言えば、黄金に輝く金閣が有名です。金閣は、正式には舎利殿と呼ばれる3階建ての建物で、その中に納められているいるものや、室内の構造は、各階によって異なります。

 鹿苑寺金閣の各階の構造などを以下にまとめました。

1層:法水院
 床は板張り。外壁内壁ともに、金箔は張られていません。奥には須弥壇(しゅみだん)が設けられ、釈迦三尊像が中央に安置されています。また、正面向かって左側には、足利義満坐像が安置されています。
 また、寝殿造り風の層でもあり、蔀戸(しとみど)と呼ばれるが備わっています。
*蔀戸(しとみど)とは、簡単に言う日よけのいたのことを言います。

2層:潮音銅
 1層目とは異なり、外壁は全面金箔が貼られています。また、1層目は1室ですが、2層目は複数の部屋で構成されています。仏間内には、観音菩薩坐像が安置されています。内壁や床は、黒漆で塗られていて、天井には鳳凰が描かれています。

 この2層目は、和様仏殿風と呼ばれるつくりで、舞良戸(まいらど)や、格子窓、長押(なげし)が用いられています。
*金閣で用いられている引き戸

3層:究竟頂
 仏舎利が安置されている層。桟唐戸(さんからど)や花頭窓(かとうまど)を用いた禅宗様仏堂風の層で、2層目とは違い、高欄も逆蓮柱を用いている通り、禅宗様のつくりとなっています。
 また、3層目は、内壁・外壁ともに、金箔が張られて、床は黒漆塗となっています。
 そして、屋根の上には、鳳凰の飾りが付いています。



4 金閣寺と銀閣寺


金閣寺(左)と銀閣寺(右)
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 金閣寺とよく並べて言われるのは、銀閣寺ではないだろうか。そこで、金閣寺と銀閣寺について比較して見ましょう。
   金閣寺   銀閣寺 
 名称   鹿苑寺舎利殿   慈照寺観音殿 
 創建年   1397年   1490年 
 本尊   観音菩薩像   釈迦如来像 
 開基   足利義満   足利義政 
 山号   北山   東山 
 建造当時の文化   北山文化   東山文化 

※北山文化と東山文化について
 北山文化     
北山文化は、東山文化と合わせて、室町文化とよばれるもので、南北朝時代後、それまでの伝統の公家文化と、新興の武家文化の融合が特徴的な文化。
   
 東山文化     
東山文化は、室町文化中期のもので、東山山荘を中心にして、武家文化や公家文化、禅僧文化などが融合している文化。また、多くの芸術(茶道や庭園など)が開花した時代です。

 金閣寺が華やかに見える一方で、銀閣寺は、落ち着いて見えることは、同じ足利の時代でも、文化に大きな相違点が見られるからです。
 金閣寺にならって銀閣寺が建造されましたが、そのような文化の違いによって、金閣寺は華々しさを重んじた建造物に、銀閣寺は侘寂を重んじたつくりになったということです。



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