龍安寺は、室町幕府の管領で、応仁の乱の東軍の総大将でもあった細川勝元によって宝徳2年(1450年)に創建されました。
その後応仁の乱で焼失しましたが、名応8年(1499年)勝元の子で管領の細川政元が再興しました。
方丈庭園は、枯山水の石庭として世界的にも知られています。
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幅 25メートル、奥行 10メートルほどの空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置されている石庭は、室町末期、特芳禅傑らの優れた禅僧によって作庭されたと伝えられます。
石庭の石の配置の意図は不明で、見ている人の想像が膨らむ庭園です。 |
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