永治元年(1141年)4月20日、備中(岡山県)吉備津宮の社家、
賀陽(かや)氏の子として誕生しました。
11歳で地元安養寺の静心(じょうしん)和尚に師事し、13歳で比叡山延暦寺に登り
翌年得度、天台・密教を修学します。
そののち、宋での禅宗の盛んなることを知り、28歳と47歳に二度の渡宋を果たします。
都での禅の布教は困難を極めたが、建久6年(1195年)博多の聖福寺(しょうふくじ)を開き、
「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」を著すなどしてその教えの正統を説きました。
その2年後、建仁寺の創建により師の大願が果たされることになりました
そして、禅を日本に伝えました。また、中国から茶種を持ち帰って、日本で栽培することを奨励し
喫茶の法を普及した「茶祖」としても知られている人物です。
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私は、この修学旅行で京都の歴史について知ることができました。
さらに、日本の先人は、たくさんの知識がある、素晴らしい人ばかりだったことも学びました。日本は昔から、誇りをもてる国だったんだなと感心しました。3日間だけだったけど、前より寺社仏閣に興味を持てたと思います。寺社だけではなく、庭園やそのほか誰が訪れても、きれいにしてある所に驚きました。
この三日間で学んだことを、これからの生活に少しでも活かすことができればいいと思います。 さらに、日本には誇れる人がたくさんいることを忘れないようにしていきたいです。 |
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