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建造物説明


 清水寺は記録に残っているもので9回の焼失をしています。理由はさまざまで、興福寺と延暦寺の争いや、応仁の乱の兵火による焼失などがあり、現在の本堂は1622年(寛永10年)に、徳川家光が再建したものです。

 本堂(ほんどう)
 上記の通りに、現在の本堂は徳川家光により再建されたものです。 清水の舞台は有名で、高さは4階建てのビル相当です。また、面積は約190平方メートル、ヒノキ板を410枚以上使っています。この舞台はもともとは観音様に芸能を奉納する場所であり、雅楽、能、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されていました。現在でも重要な法会では、奉納が行われます。
 思い切ったことを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」といいますが、ガイドさんの話によると生存率は高いそうです。

 仁王門(におうもん)
 
応仁の乱によって焼けてしまいましたが、15世紀末に再建しました。幅は約10メートル、奥行き約5メートル、高さは約14メートルであり、とても迫力がありました。

 西門(さいもん)
 現在のものは、寛永8年(1631)に再建されたものであり、元々建てられた時期は分かっていません。この西門から見る日没は美しいとされています。

 三重塔(さんじゅうのとう)
 平安初期847年に建設され、寛永9年(1632)には再建されています。内部には大日如来像を祀っており、壁にはさまざまな絵が華やかに描かれています。高さは約31メートルであり、その高さは圧巻でした。

 轟門(とどろきもん)
 寛永8〜10年(1631〜33)再建されたものであり、ここを通り本道へ行きます。東大寺転害門を模して建てられ、門の前に四角にフクロウが彫刻された石造「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)があります。

 奥の院(おくのいん)
 現在の建物は、寛永10年(1633)に再建されたものです。この奥の院からは、本堂の舞台が良く見え絶好の撮影スポットです。先生がこの奥の院から舞台を撮ってくれました。

 阿弥陀堂(あみだどう)
 寛永8〜10年(1631〜33)に再建されており、平成8年には色彩復元されています。天井には極彩色の文様が施されており、浄土宗の開祖、宝前上人が、日本で最初に常行念仏道場とした場所です。

 音羽の瀧(おとわのたき)
 寺の名前の由来になっている瀧であり、流れ出ている清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれています。連日、行列が出るほど人気があります。今回は並びませんでしたが、時間があったら並んでみたいです。
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